62万石吹奏楽祭、そして震災

■3月4日(金)
夕方に仕事を終え、宮城県民会館(東京エレクトロンホール宮城)へ向かいます。翌日に開催される、職場・一般の吹奏楽団の吹奏楽祭である「62万石吹奏楽祭」のフィナーレで、全出演団体からのピックアップメンバーで構成される「伊達なスペシャルバンド」のステージの練習があるためです。今回はニューサウンズインブラスの父と呼ぶに相応しい岩井直薄氏が指揮と言う事で、滅多に無い機会ですから、結構楽しみなのです。

会場に到着すると、学院大SWE時代からの先輩で、n響に所属されているAさんをすぐさま発見。速攻でご挨拶に突撃します。「Aさん、何となくいらっしゃるような気がしたんですよね~」と振ると、Aさんはどうやら団内で無茶振りされた模様で、仕事を半休取って、天童からお出でになったとのこと。

合奏開始は19時過ぎから。ボクの前にはバリサクのアッキー@FSWが丁度位置していたので、「Aさんがあっちにいるよ!」と振った所、「えっ!マジ!」と言う事で、二人でAさんに遠隔ビーム発射(笑)Aさんもジェスチャーで「やめんか、お前達ww」とまんざらでもなさそうです(勝手に推測)

20時から岩井御大が登場します。老眼でスコアのアルファベットが読みにくいとか何とかと言うのはあるそうですが、御歳87歳とは思えないようなエネルギッシュさです。合奏の回し方が、メンバーに任せてんのかメンバーをリードしてんのか分からん感じで面白かったです(笑)

■3月5日(土)
62万石吹奏楽祭の当日です。午前中は昨晩の続きで、伊達ステージの練習です。岩井御大、要所要所でスタンドプレイを要求されるのですが、初見同然でやる曲でスタンドはちょっとキツいです(楽譜を覚えないと行けないからなあ)。終わってから、一緒に練習に参加していた利府吹、多吹、若吹のメンバーと連れだって近くの○戸屋に昼食に出掛けますが、席が空くのを待ちながら外を見ていた所、会場に颯爽と向かうタマロさんを発見します。「あ!タマロさんだ!」と騒ぐも窓の外には届かず、そのまま見送ったのでした(苦笑)

14時に会場近くで、利府吹、多吹、FSW、SGWE、若吹のメンバーで再集合し、会場入りします。楽器置き場は事もあろうに会場のロビー。予想通り1階のロビーは混雑しておりましたので、2階と3階のロビーに楽器置き場を確保して準備し、若干の音出しを経てステージへ。

今回のお題目は、ストラヴィンスキーの「組曲『火の鳥』より魔王カスチェイの凶悪な踊り、子守歌、終曲」でございます。何とも難しい曲ですが、なかなか思うように合同練習の回数が取れず(ボクらの結婚式も一因なんです、ごめんなさい)、結構苦労したものです。それでも本番は大きな事故の類もなく、まあまあ自己満足出来たように思います。

そんな訳で自分たちの本番が終わると、岩井御大のステージがすぐ後に控えております。こちらのお題目は以下の通りです。

♪アフリカン・シンフォニー
♪アメリカン・グラフィティ19
♪76本のトロンボーン
【アンコール】
♪エル・クンバンチェロ
♪ポップスマーチ「素敵な日々」

個人的にはさっぱり吹けなくてダメダメだったのですが、良い経験になったような気がします。それから時間との戦いで撤収し、オイちゃん@FSWを車に乗せ、一旦荷物を自宅まで戻してしまいます。帰りの事を考える(誰かを送って帰るとか)と、車に積む荷物は少ない方が良いですからね。

62万石の打ち上げは、主催の県吹連側の打ち上げと、火の鳥合同の打ち上げがほぼ同時に進行するのですが、今回は同じビルの地下1階で吹連、4階で火の鳥合同の打ち上げが開催されており、カミさんを含めた数名のメンバーは両方の打ち上げを掛け持ちしていました。

元々はボクも打ち上げを掛け持ちする予定だったのですが、予算他諸々の都合により、火の鳥合同の打ち上げのみに参加しておりました。前述のAさんは地下での打ち上げに出ておられたようなのですが、ボクがいないとボヤいておられたそうです。仕方ないですが、申し訳なかったです。

これで楽しい合同も一旦終了、次は冬までのお待ちかねとなります。

■3月11日(金)
この日は朝に泊まり勤務を終え、ウチに帰って寝ていました。お昼時からしばらく経った頃、尋常ではない地震で目が覚めました。ボクが寝ている和室には大きなモノを置いてはおりませんので、建物が倒壊しない限り大事には至りませんが、食器や食材、調味料を置いている台所からはガチャガチャパリーンと言う音が聞こえてきます。

居間では棚などが大きく動き、26インチのアクオスが危うく落下しそうになりましたが、何とか落ちずに済みました。相当長い揺れが収まってから台所を見た所、幸い倒壊したものはありませんでしたが、カミさんが途中まで作ってくれていたカレーの鍋が引っ繰り返っており、中身がコンロ前の床に散乱していました。棚からいくつかの食器が落ち、床はこぼれた油でベトベトになっていました。

ひとまず、散乱したカレーの作りかけを大雑把に片付けてから、実家に電話を掛けてみましたが、繋がりませんでした。相当大きな地震でしたから、電話回線が輻輳(ふくそう)しているのだろうと理解し、直接実家に行ってみる事にしました。

車で出発してみた所、ウチの近辺から岩切に入った段階で、何やらおかしい状況になっているのに気付きます。まず、信号が軒並み消えており、滅多に混雑しない裏道が大渋滞しています。沿道ではブロック塀が倒れて道を塞いでいたり、中には倒壊している建物もあります。そして、いつも通っている今市橋は早々に通行止めになっていました。やむなく岩切大橋へ迂回しますが、ここも橋が15センチほど浮いており、信号が消えている事もあり、かなり危険な状況でした。

その後、何とか実家まで辿り着きましたが、道路も至る所で隆起したり、割れたりしており、信号も消えていますから、無秩序に走る車も多く、いつ追突されるのかヤヒヤな状況でした。

実家は予想通り、台所の棚から落ちて割れた食器が散乱しており、母親がオロオロしていました。まずは手で拾えるものだけ集め、あとは掃き集めて片付けました。ここもライフラインが寸断されておりますので、毛布にくるまりながらラジオで情報を収集します。

夕方はカミさんを職場まで迎えに行く予定だったのですが、どうやら街中は大渋滞で車が殆ど動かないとのこと。ここで迎えに行ってもあまりに危険が大きいと判断し、「実家にいるが、この状態なので迎えには行けない」旨メールをしておきました。

それからしばらくしてから、カミさんから「会社の車で、人を送ってから帰る」旨のメールがありましたが、どこに帰るのかが分かりません。やむなく続報を待っていた所、避難所になっている燕沢小学校にいるとのこと。兄と一緒に迎えに行き、実家に連れて帰ったのでした。これで家族全員の無事を確認する事が出来ました。

■3月12日(土)
カミさんの実家の状況を確認しに行きます。カミさんの下の弟さんが住んでいる別棟は窓ガラスが割れ、屋根瓦が落ちておりましたが、本棟は無事でした。幸い水だけは出ましたので、外で煮炊きのサバイバル生活をしているようです。家族は殆ど無事ですが、お祖母さんが消息不明なのが気掛かりです。この日から、カミさんの実家にお世話になることにしました。

■3月13日(日)
ボクは通常通り出勤です。職場の電力は確保されているようです。朝からゆぅちゅうばの練習があるはずですが、この状況では市民センターが使えませんので、練習は恐らく無理だろうなあと思いを馳せます。

■3月14日(月)
カミさんも会社に行きますが、通常の業務が出来る状態でないらしく、夕方には帰宅していたようです。よって、一番最後にカミさんの実家に帰り着いたのはボクでした。自転車を止めてウチに入ろうとすると、お祖母さんがいるとのこと。

お祖母さんが住んでいた名取の閖上地区は津波により壊滅、お祖母さんもお隣さんに引っ張られるようにして岩沼に避難しておられたそうですが、公設の避難所ではない所におられたそうで、安否確認が出来なかったそうです。最悪の事態を覚悟していただけに、本当に一安心です。

しかし、この頃から慣れない環境での生活でボクが体調を崩して来ており、自宅が復電していたら、戻ることにしました。

■3月15日(火)
朝に自宅に戻ります。電気は回復していました。ガスはプロパンなので使える状態でした。水道の復旧はまだでしたが、暖を取れる分安心出来ますから、このまま生活することにしました。まず最初に台所の後始末に取り掛かります。水が出ない状態での掃除は難儀しましたが、午前中一杯で大体始末を終えることが出来ました。

冷蔵庫の中をチェックしてみましたが、作り置きの食材も傷んでおらず、捨てなければ行けないものはありませんでした。さすがにアイスは溶けていましたけれど、これはそのまま凍らせて食べる事にしました(笑)

以降、17日の夜には水道も出るようになりましたので、ライフラインは無事復旧です。ただ、節電節水を心掛けないと、いつ停電断水となるか分からない状況でもありますので、やや節制気味の生活を送っております。

一番深刻なのは、ガソリンが殆ど入手出来ないことです。そのため、早々にバス&徒歩&自転車の生活に切り替えております。しかし、そんな状況にもかかわらず、営業する見込みのないガソリンスタンドに車で行列を作り、道路を塞いで渋滞の元凶になる光景が方々で見られます。

行列を作っている当人はガソリンの入手に必死なのかも知れませんが、本当に車がないと生活して行けないのか、このような状況だからこそ、今一度考えて欲しいと強く思うのです。

今回の震災では住む家を失った友人も何人かいます。このような時に「頑張って」などと言われるのが一番辛いはずです。じゃあ、何と声を掛けるのが良いのかと訊かれても、正直分かりません。ただ、心配している思いが届けばと願っています。

なお、今回の震災の影響により、色々なイベントが中止になりました。残念です。
●3/20 第6回仙台ユーフォニアム・テューバフェスティバル
●3/21 セントケア若林デイサービスセンタでの慰問演奏
●4/24 咲楽ウインドオーケストラスプリングコンサート