1991年
めでたく東北学院大学に入学し、憧れであった東北学院大学シンフォニック・ウインド・アンサンブルに入部します。が、中学・高校とまともな練習をしないまま経験年数だけ重ねていたボクにとって、その練習は常にダメ出しされっぱなしの日々でありました。さすがに悔しいと思い、しこたま練習したのが今の財産になっていると思います。
1年生、2年生とコンクールのメンバーにはなれなかったものの、何とかやって行けそうな感じが掴めたのですが、元来の要領の悪さが裏目に出てしまい、2年から3年の進級時にコケてしまい、留年の憂き目を見てしまいます。
さすがに親からはバイトして学費を少しでも稼ぐようにとのお言葉。結局サークルも脱走同然で退部してしまいました。当然の事ですが、かなりのヒンシュクを買う結果となってしまい、現在もこの部分ではかなり負い目を感じています。
1998年
と言う訳で、それからは高校に入り込んで細々と吹いていたりもしましたが、当時の練習嫌いな現役生に疎まれたあげくに文句を言われたため、ブチ切れてしばらくの間、高校には行かなくなりました。大学を出ると、仕事中心の毎日となり、2年ほどEuphoniumからはご無沙汰していました。
転職をきっかけに一念発起してバンドを再開しようと思い、まず最初に入団したのが、
宮城室内管楽アンサンブルです。コンクールに出るには練習時間的に厳しいと思い、あえて吹奏楽連盟にも加盟せず、コンクールにも出ない団体にしたわけです。入団したのが春先だったのですが、秋口にあった合同演奏会で存在を知ったバンドが、
フィルハーモニア・ウインド・オーケストラ(P.W.O)なのです。
2000年
高校・大学の同級生に口説かれて、在仙の一般混声合唱団「エピス」に入ってしまいました。楽譜の読み方は当然心得ていましたから慣れっこでしたが、練習時間をまともに取れない分、実際に歌うのはなかなか厳しいものがありました。結局、精神的・体力的限界を感じ、ある事をきっかけに退団する事となります。2003年初頭にあった演奏会の後です。
2001年
PWOとは、しばらくの間定期演奏会のエキストラの形で繋がっていましたが、そろそろコンクールにも出てみたいなと思い、この年に団員としての活動を始めます。以下がコンクール参加実績ですが、2005年には生まれて初めて、東北大会へ参加出来ました。
2001年コンクール
課題曲:行進曲「SLが行く」(若杉海一)
自由曲:ウェールズの歌組曲(A.O.ディヴィス)
全日本吹奏楽コンクール第44回宮城県大会一般の部銀賞
2002年コンクール
課題曲:追想〜ある遠い日の〜(岡田 宏)
自由曲:ペガサスの飛翔(D.シェーファー)
全日本吹奏楽コンクール第45回宮城県大会一般の部銀賞
2003年コンクール
課題曲:マーチ「ベスト・フレンド」(松浦伸吾)
自由曲:セレブレーションズ(J.ズデクリック)
全日本吹奏楽コンクール第46回宮城県大会一般の部銀賞
2004年コンクール
課題曲:吹奏楽のための「風之舞」(福田洋介)
自由曲:組曲「イースト・コーストの風景」より「ニューヨーク」(N.ヘス)
全日本吹奏楽コンクール第47回宮城県大会一般の部金賞
2005年コンクール
課題曲:ストリート・パフォーマーズ・マーチ(高橋宏樹)
自由曲:Jalan-Jalan〜神々の島の幻影〜(高橋伸哉)
全日本吹奏楽コンクール第48回宮城県大会一般の部金賞・宮城県代表
→全日本吹奏楽コンクール第48回東北大会銅賞
2005年アンサンブルコンテスト
※NTT東北ウインドアンサンブルとして出場
【ユーフォニアム・テューバ4重奏】
「スピリチュアル・ジャズ組曲」より深い河、ジェリコの戦い(L.ニーハウス)
第39回宮城県アンサンブルコンテスト仙台若林地区大会職場の部金賞
2006年コンクール
課題曲:パルセイション(木下牧子)
自由曲:第2組曲よりIII.グアラチャ IV.パソドブレ(A.リード)
全日本吹奏楽コンクール第49回宮城県大会一般の部金賞
2007年コンクール
課題曲:マーチ「ブルー・スカイ」(高木 登古)
自由曲:スクーティン・オン・ハードロック(D.ホールジンガー)
全日本吹奏楽コンクール第49回宮城県大会一般の部金賞
PWOや管楽の活動と並行して、2003年頃からエキストラで
若林区吹奏楽団に出入りするようになり、2007年コンクールが終了した段階で移籍し、現在に至っています。